「人生を変えたピアノに感謝」
私が大切にしているものはピアノです。私にとってピアノは、私の性格や人生を変えたものです。それだけではなく、家族に感謝すること、物を大切にすることを教えてくれたものでもあります。
と言う文章で始まる15歳の女子高生が書いた「人生を変えたピアノに感謝」と言うタイトルの投稿文が、先日の地元紙の「読者のひろば」コーナーに掲載された。“ピアノ”と言う文字や言葉に過剰反応してしまう僕としては、とても興味深く読んだ。
5歳の時、私はピアノを習い始めました。幼いころの私は、人見知りでおとなしい性格でした。そんな私を変えてくれたのがピアノです。と続き、ピアノで表現することで自分が変わり、友達もできたそうだ。元来飽きっぽい性格なのにピアノだけは10年間も続けることができたのは、家族の理解と励ましがあったからだ、自分にピアノを習わせてくれた家族に感謝している。そして、
将来はピアノの道に進もうと決めました、とも。
何とも嬉しい内容である。僕の周りにも、この高校生と同じようにピアノを続けたことで、今の自分があるとか、弱さから立ち直れた、自信が持てるようになったと言った人達がたくさん存在する。4~5歳の頃からピアノを始め、約10年間と言うのがおおよその人達のレッスン期間である。この間、殆ど休まずレッスンに通うことは容易なことではない。本人の根気強さと努力もさることながら、家族の理解と協力、指導者を含めた大人達の良好な環境作りがあってこそ成し遂げられる。特に、幼児期や小学低学年期における家族の関わり方は重要である。
最近、テレビでも大活躍の有名な脳科学者の澤口俊之氏が「習い事はピアノだけでいい」とピアノのおけいこの様々な効用を説いておられた。我が意を得たりとばかり、大いに勇気付けられる言葉である。おけいこ事はけっして楽しいばかりではない。むしろ辛いことの方が多いかもしれない。だからこそ達成感も大きい。この高校生は、恐らくとても素敵な家族に見守られた生活を送っているのであろう。これからも生涯のパートナーとして、ピアノをいつまでも愛用して欲しい。
もうひとつ、ぜひ紹介したい詩が、一昨年同紙上に掲載された。小学4年生の女の子が綴ったもので、ピアノの音への思いを素直に表現した素晴らしい詩だと思ったので切り抜いておいた。
「ピアノの音」
ピアノの音は正直者だよ いやいやひくとへんな音 楽しくひくといい音たくさん
ピアノはわたしの心がわかるのかな
熊本市立○○小4年 小○○佳
35周年に思う-その2
当店が位置する県庁通りの両脇には大小200社近い店舗や事務所が存在している。35年経った現在、ウチより古い店は十軒に過ぎないくらいに入れ替わってしまった。
当店の数軒隣に「クロワッサン」と言うフランス料理店があった。ウチの場所を教えるには「クロワッサンの左隣です」と言えば解る程地元では有名であった。オーナーシェフのHさんは音楽通でかなりのオーディオマニアでもあった。お店は流行り、ついに3階建ての住居を兼ねた新しい店舗に建て直され大きく夢が膨らんだ矢先の 50歳代前半、病に倒れ入院、再び店に戻られることなく、逝ってしまわれた。 ご存命なら、今頃二人の息子さん達と一緒に厨房に立っておられたであろう。実に惜しい人を亡くした。現在は3代目の洋食屋さんで賑わっている。
そして・・・またひとつ、想い出の店が消えてしまった。
当店創業より1年程前、旧店舗(現店舗の左隣)の一軒挟んだ隣に「めるひぇん」と言う喫茶店がオープンした。オーナーはトラック販売会社の管理職を退職された足立おじちゃん夫妻だ。二人の人望から老若男女様々なお客さんで賑わった。特におばちゃんが作る、蜂蜜がたっぷりかかった上にバターが乗ったホットケーキは一番人気でとても美味しかった。カウンターにはいつも馴染みの常連さんの誰かが来ていて、仕事上の悩みや恋愛、人生相談に乗ってもらったりもしていた。何組かのカップルも誕生した。自発的なサークルができたり、2階の部屋ではお花教室も開かれていた。そんな中、誰からも慕われたおじちゃんがこれまた病魔に襲われ、突然亡くなられてしまった。遺されたおばちゃん一人が気丈に切り盛りされていたが、年を追うごとに気力が萎え、常連さんの女性に店を譲られた。僅か10年足らずであったように思う。その後、おばちゃんはおじちゃんが眠る熊本の自宅を守りつ、八女市でお医者さんとなられた娘さん宅に身を寄せながら、毎年1~2度のペースで海外旅行を楽しむ悠々自適な生活をされていたようだ。
店はその後も内装を変えることなく次の女性に、更に別の女性へと代替わりし、最後の小料理屋さんも2年ほど前に閉店、そのまま空き家となっていたのだが、老朽化がひどいことから、大家さんがついに取り壊しを決断されたのである。


日々解体されて行く姿を見ていると、当時のことが想い起こされ、何とも言えない寂寞感にさいなまされる。はたと気づいて写真に残そうと思い立った時は既に殆どその面影が無い状態となってしまっていた。大きな音がする度に、長きに亘ってそのお店の歴史を見て来ただけに胸が痛む。
二人には殊の外お世話になった。お孫さんのためにと、当時としてはかなりハイクラスのピアノを購入していただいた上、知人の歯医者さん含め何人もの方にピアノをお世話いただいた。前述のカップルは数年後にはお嬢さんを伴ってピアノを求めに来店された。余談ではあるが、当時常連さん達で発足した学校生協“めるひぇん班”は現在も妻一人が会員として継続している。
そして昨日、懐かしさと報告を兼ねて、おばちゃんに電話した。おじちゃんが亡くなられて早くも29年が経過、85歳になられたとは思えない程しっかりしたお声で、とても喜んで下さり、取り壊しを伝えると涙ぐみながら残念がられた。40分近く、当時の想い出話に時間を忘れてしまった。当時就学前だった息子や娘のことも覚えておられたのにはビックリした。お互いいつまでも健康でいることを約束して名残り惜しんだ。
当時のウチは、経営状態がとても苦しくて気の休まる月がなく、おじちゃんとおばちゃんの励ましは大きな支えであった。おじちゃんから言われた「あなたは今のままを貫いたらいいと思うよ」の言葉が今でも忘れられない。
これまで色んな人達と関わり支えられて、今日の自分があると思う。「あのピアノ屋は、潰れんでよう保(も)ってるなぁ・・」の声があちこちから聞こえて来そうである。申し訳ないが、もうしばらく頑張らせて欲しい。
いいスコアが出ないのはクラブのせい ?
国内屈指のチェリトをパートナーに持つピアニストから聞いた話である。
ある財団から値が付けられない程の名器を永久貸与されると言う栄誉をいただいたチェロであったが、中々いい音が出ない・・・苦悩が続くある時、「今まで聴いたこともない、天にも昇るような響き」を味わったそうな。「今までの自分の弓の弾き方が間違っていたんだ。正しい弾き方をすればこんなにも素晴らしい音で応えてくれる。そのことをこの楽器が教えてくれた」と。「ピアノも全く同じですね」と話してくれた。その場に居あわせた声楽家もまた「声楽も同じ、正しい姿勢でないといい声は出ない」と。


僕は経験30数年来の月一ゴルファーである。時にはビックリするようなスコアが出るかと思えばひどい時の方が多く中々上達しない。いいスコアを出したい、コンペで勝ちたいと思う気持ちからか直ぐクラブを買い換えたくなる。もっと飛んで曲がらないクラブはないか、スコアが悪ければクラブのせいにしてしまう。自分の努力不足や未熟さは棚に上げて。尤も向上心があればこそとも言えなくもないが・・・ピアノを買い換えてくれる方の多くが正に「向上心がある」時であり「伸び盛り」の時と似ている。
クラブも感情を持っていることを理解してあげて正しいスウィングを身に付けたいものだ。そうすれば自ずといい飛びで応えてくれる筈だ。そしてもっとクラブを大切に扱いたい。
プロカメラマンが驚愕するほど美しいグランドピアノ
狭い店ながらも、グランドピアノに囲まれた日々を送っている。毎日そのピアノから音が鳴らない日はない。誰かが必ず弾きにやって来る。それは幼い子供達であったり、ピアノの先生であったり、お客様であったりする。特に子供達の手によって奏でられる音は素直で邪気がなくきれいな響きで実に心地良い。

あるピアノメーカーがパンフレット用写真を撮るため、プロの商業カメラマンに撮影を依頼した際、グランドピアノのあまりの美しさに驚愕されたと言う。グランドピアノ独有の流麗な曲線美、周りの全てを映し出してしまう鏡面仕上げられた漆黒塗り、黄金色に輝くフレーム、白と黒が均一的に配列された鍵盤、どのアングルからレンズを向けても今まで出会ったことがない程の見事なフォルムにときめかれ、「全く素晴らしい」との感想を漏らされたそうだ。
ピアノの創世期の頃は半円形であったり四角ばった形状もあったようだが、ある時代からこの形となって久しい。ただアートピアノと言った特殊なデザインや各メーカーやモデルによって微妙な違いはあるものの概ね同じある。さしずめ当時グッドデザイン賞が存在していたら間違いなく受賞していたであろう。

また、グランドピアノはどんな部屋に置いてもその空間を豪華に彩る。存在そのものが芸術品と言った風格と高貴さがある。カメラマンが言う「どんな製品よりも美しい」。そしてそれから聴こえてくる音もまた美しくなければ、似合わない。いつも綺麗に研かれ、正しく音の調整が施された状態でパートナーを待つ。ピアノは感情を持った生き物のようでもある。パートナーの手綱如何(弾き方)ではどのようにも反応する。素晴らしい走り(音)で応えてくれる場合もあればその逆もある。何とも魅力的である。もっとも、ピアノに限ったことではなく、バイオリンやチェロと言った弦楽器、フルートやサックスフォーン、ホルンと言った管楽器もまた同じように美しく、パートナーによってそれを倍加させる。グランドピアノはその大きさと色彩のコンビネーションからも正に極みと言っていい。
いいパートナーにめぐり会ったピアノを、搬入作業で手垢のついた塗装面をきれいに拭き上げる時間こそ、何物にも代え難い至福のひと時である。

さて、もう直ぐ学校を終えた子供達が今日もまたグランドピアノに会いにやって来る。気のせいか、レッスン室のグランドピアノがにこやかな笑みを浮かべながら姿勢を正したようだ・・・
35周年に思う
この35年間、私どもを取り巻く環境は予測を超える大きな変化を遂げた。
団塊ジュニアと言われた現在のアラフォー世代がピアノ適齢期を迎えた1980年代、国内には大小合わせて数十社にも及ぶピアノメーカーが林立し、ブランド数においては300以上を数えた。
大手2社による寡占状態の中、真っ向から対立する安売り店が全国に乱立し、毎週末の新聞紙上では華々しいバーゲン広告を打ち出し、互いに誹謗し合う激しい販売闘争を繰り広げた。しかしながら年を追う毎に進む少子化の波によって販売数は減少の一途を辿り、一時的に栄華を極めた激動の時代は終焉を迎えた。その結果、中小ピアノメーカーも量販店も一気に淘汰され、大手も大幅な減産と合理化を余儀なくされた。私共もその渦中、大きな余波に見舞われ幾度となく経営危機と挫折を味わうことになる。何とか乗り越えてこうして今日あるのも、偏に全幅の信頼を寄せるスタッフや周りの方々の大きな支えの賜物であったと言える。「神様は本当にいらっしゃるんだ」と思うような出来事を幾度となく経験した・・・
もとより、1976年の創業当時26歳であった私は、人として経営者として、音楽に関わる者として必要な知識、それら全てにおいて無能であり未熟であった。当然の試練と言える。一貫して自分を支え続けたものは、この仕事こそ「天職」だとの信念、そして現在も相も変わらず末席に位置する当店を信じてピアノをお求めいただいた数千軒にも及ぶお客様への感謝と責任である。
やみくもに売り上げや利潤追求に奔走した自己中心的な喜びから、人に喜んで貰えることが自分の喜びとして捉えられるようになるまでに15年の時間を要した。
この20年、いいお客様、いい環境、いい仕事に恵まれ、精神的なゆとりもできて、充実した毎日が過ごせるようになった。
今後もより優れた品質のピアノを、信念を持ってご案内し行くことを使命として真面目に務めて行きたい。
今日も元気にピアノのおけいこに励む子供達に感謝。これからも共にピアノを楽しみ、生涯のパートナーとしてお手元でご愛用していただくことを願う。
現在の店舗(ビル1階)と創業から9年間過ごした旧店舗(左側のシャッターが閉まっている所)
印象に残る3人の旅行者の来店
ここ数ヶ月間に、とても印象に残る3人の県外からの旅行者が来店された。購入が目的ではないが共通してディアパソン絡みである。
Nさんはアラ還世代の男性で、神奈川県鎌倉市から親戚の法事で来られたそうだ。その日は散歩がてらと言うことで軽装であったが、スーツを着込んだら重役を想像できる恰幅のいい紳士である。手持ちの先端スマートフォンでディアパソンの店を検索したら御社があったと言うことで立ち寄ったそうだ。「ディアパソンですね」といきなり展示中のグランドピアノを弾き始められた。ジャズがお得意のようだ。力の抜けた軽やかなタッチで実にいい音を出される。かなり達者な腕前である。一息つかれた後お話を伺った。自宅には古いディアパソンのグランドピアノを持っているそうだ。そのピアノは亡くなったお父上が還暦過ぎてから習い始めた時、中古で買い求められた代物だそうだ。それともう1台、最近関東の楽器店で中古で購入したベヒシュタインのグランド、更に僕は勉強不足で知らなかったヨーロッパ製の高級電子ピアノを所有しているそうである。ディアパソンに関しては、父がどう言った経緯で選んだのか知らないが、既に数十年も経っているものの自分もとても気に入っていて父の先見性には驚いたと。
スタインウェイやベーゼンドルファー、ベヒシュタイン、ファッツオリ等の一流と言われるピアノも試弾させていただいたと言うことで、それぞれの特長や感想を実に的確に述べられ、しばし時間を忘れ二人は熱いピアノ談義と相成った。最後にディアパソンの1本張り〔DR-300〕について、「外国製の有名ブランドのピアノにもひけを取らない実にいいピアノですね。しかもこの価格は安い!」と嬉しいご感想。
「久々にピアノについて語り合える人に出会えた。また寄りますよ」と。何かしら満ち足りた時間であった。
Nさん母子も同じく神奈川県からの来訪者である。当店の近くの病院に身内が入院しているのでお見舞いに来たら、通りすがりディアパソンの看板に引き寄せられとのことである。
娘さんは大学を出られたばかりで今でもピアノを勉強しているとのこと。お母様もかなり上手に弾かれる。習っている先生がディアパソンのグランドをお持ちで、以前からとてもいいピアノだなぁと思っていた。いつかはグランドピアノが欲しいなぁと思っていて、「ディアパソン弾かせて貰おうか」とつい立ち寄られたようだ。真正面に置かれた〔D-164R〕を弾かれ、こんな小さなサイズでもこれだけの響きがあるんだと二人でとても感心されたご様子。当店とご縁を戴けるとは思わないがディアパソンファンが増えてくれたことは素直に嬉しい。
そして先日、Bさんと言う中年の男性が当店のソナチネルーム(ピアノレンタル室)にやって来られ1時間半程練習された。二日前から香川県丸亀市から一人で九州を旅行中だそうだ。昨日は天草、その前は阿蘇や熊本城を満喫されたようだ。宿泊先のパソコンで当店の存在を知ったとのことである。Bさんには失礼であるが、見た目とてもピアノを弾かれるようには思えない。しかも楽譜らしきものも持ち合わせてなく手ぶらである。しかしながら聞こえて来たメロディはとても癒される美しいメロディばかり。何とも言えない優しい音色である。ディアパソンとボストンを交互に弾かれているようだ。こうして聴いているとナルホドそれぞれの特長を改めて感じる。殆ど休むことなく次から次と延々と奏でられて行く。勿論暗譜である。弾き終わられた後、2台のピアノの感想を聞くと、「ボストンはちょっと弾いた感じはいいなぁと思うが特に感じるものはない。ディアパソンはじっくり弾いて行くうちに表情があってその良さが段々分かって来る感じで、自分はディアパソンの方が好きだ」とのこと。とあるピアニストも同じような事を言われた事を思い出した。旅先でとてもいい時間が持てたとのことで、またご縁があればお越し下さいと言って別れた。明朝は熊本の代表的な祭りである藤崎宮例大祭(通称隋兵)の勇壮な馬追いを見学して鹿児島へ向うそうだ。
巷には、ピアノ好きな方が実に多い。決して専門的に学んだ訳でなく、趣味として純粋に楽しんでおられ、それぞれに音色や響きにこだわりとポリシーを持っておられる。
これまでも多くのお客様が訪ねて来られてはご縁をいただいた。ドラマティックな出会いもあった。様々な方々との出会いは自分を高めてくれるし、いい刺激を与えて下さる。同時に自分の拙さを思い知らされもする。
「ピアノはいいなぁ」と思うと同時に、何と素晴らしい仕事をさせてもらっているんだと感謝と誇りを感じる。