
当店との関わりの有無に関係なく、皆様のエピソードをお寄せ下さいませ。

ピアノと関わったことで、その後の生き方や人生が大きく変わった、と言う人は多いと思います。
Hさんと言う青年はまさにそんな中の一人で、ピアノ屋稼業43年目を迎えている僕にとって、忘れられない人物です。
今から遡ること約20数年前、スタインウェイ社が河合楽器製作所にOEM方式で製造を委託し、デビューしたのが「ボストン」ピアノでした。向こう10年間、日本に於ける総卸元として(株)BPCジャパンが設立され、社長には(株)ディアパソンのN氏が兼務と言う形で就任、併せて統括営業部長にはMさんがディアパソンから出向することとなりました。
ディアパソン販売店である我々は、それとはまた違った特長を持つ強力な新しい武器を得た思いで、ヤマハファンに立ち向かえると確固たる自信を持ったものでした。
当店も早速、狭い店内に複数台のグランドピアノを展示して「ボストンピアノ展示試弾会」を開催し、多くのお客様のご来店をいただきました。
そんな中の平日の午後、初々しい一人の青年がふらりと入って来られ、「ボストンピアノってどんなピアノなんですか?」と。一応の説明をした後「どうぞ、ご自由にお弾き下さい」と促しますと、何とバリバリのショパンやリストを弾き始めたのです。凄い!全て暗譜です。僕は青年の演奏に聴き惚れ言葉を失うほどの衝撃を受けました。そして「いやぁ、いいピアノですねぇ」と。伺えば、彼はW大学を卒業したばかりで、現在とあるベンチャー企業の福岡支店に勤務し、仕事で熊本に来て、たまたまうちの店の前を通ったら、試弾会の案内を見て興味をそそられ、つい入ってみたとのこと。在学中は様々なクラシック愛好会がある中、「ショパンの会」に入っていたそうです。次々とショパンを披露してくれたあと、「このピアノが欲しくなったなぁ」、まんざらでもなさそうです。でも現在6畳ほどのワンルームマンションに住んでいて、そこにベッドとパソコンを置いたら電子ピアノすら置けない状態だとのこと。とてもいいピアノを弾かせていただいたと、お礼の言葉を残して彼は去って行きました。
それから数時間後、そろそろ店を締めようかとしていた時、何と彼から電話が入ったのです。
例のボストンピアノ(GP-163)の脚部間のサイズやペダルの支え棒の角度と奥の脚までのサイズ等事細やかに聞いて来ました。そして「ピアノの下にベッドを差し込めばそのグランドピアノが置けます、明日また伺いますね」。彼は本気のようです。電子ピアノすら我慢していると言っていたのに。そして、ことば通り彼は翌日やって来ました。買いたいと言う衝動を抑えきれないほどの出会いだったのでしょう。
数日後、8階フロアへの搬入はたいへんな難作業でした。何とかお部屋に待望のボストン製グランドピアノを無事設置することができました。しかしながら、この後、彼の人生を変えることとなる、第二章が待ち受けていたのです。
納入に立ち会った当社の平井技術者が、グランドピアノのアクションを引き出し、早速調整作業に取り掛かります。その作業をじっと見入る彼は、ここでも心を大きく揺さぶられます。
更に半年後のメンテナンスを、信頼する福岡県内に於けるコンサートホール等の調律を手がけるM氏(BPCジャパンの部長Mさんのお兄様)と言う優秀な技術者の方に依頼を掛けました。そして、彼はM氏のピアノ技術者としての仕事ぶりにすっかり魅入られてしまいます。それほどの凄い腕前を持った調律師さんだったのです。
彼は、ついに人生の大きな選択をします。それは、何と自分も調律師になる!と言う決断でした。
早速、彼は会社を退職、当時まだ募集期間中であった大手メーカーの調律師養成学校に入学したのです。何事にも研究熱心で安易に妥協しない性格の彼は優秀な成績で卒業。そのメーカーの直営店で数年間修行を積んだ後、現在は東京都内を中心に、その大手メーカー専属の調律師として、お客様のお宅や音楽大学などを主戦場として活躍しています。

実は先日、彼から突然メッセージが届きました。「僕のこと、覚えてますか?」と。「勿論です、昨日のことのように鮮明に覚えてますよ。ご活躍ぶりは、伺ってますよ」と返信しますと、「くまもとピアノさんのドアを開けた時から僕の人生はまるっきり変わりました。そして、それは100%正解であったと振り返って思うのです」とのコメントをいただき、またまた感激です。僕にとっても、仕事冥利につきる実に感動的な出会いであったのです。

ピアノとの出会い、人との出会い、人生って素敵ですね。



昨日、益城町文化会館に於いて、「2台のピアノ復活、有森博と仲間達」コンサートが開催されました。くまもと音楽復興支援100人委員会主催で入場料は無料。前半が2台4手、後半は2台8手のプログラムで5名のピアニスト達による、とても華やかで楽しいコンサートでした。
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![]() ただ今リハーサル中 |
思えば、遡ること7ヶ月前の平成28年4月14日、入学式や始業式を終えたばかりで、期待と希望に向かって新学期のスタートを切った矢先、我が熊本は、二夜に亘って震度7を計測する未曾有の大地震に見舞われました。言葉や文字ではとても表現できない程の凄まじい恐怖でした。最も被害が大きかったのが益城町。その中心地にあって甚大な被害を受けた公共施設のひとつが「益城町文化会館」、我々にとっては聖地とも言えるホールです。このホールは、町村自治体としては全国的にみても稀な二大名器として誉れ高いスタインウェイとベーゼンドルファー“インペリアル”の二台のピアノが常設されているクラシック専用ホールです。その二台のピアノが今回の地震によって大きな損傷を受けたのです。修理しようにも、益城町役場庁舎そのものが全壊、町の住宅地の大半が全半壊の状態で、仮設住宅の建設が最優先の状況でその予算が取れません。ロビーや駐車場、裏の法面の損傷は激しかったものの、幸いホール内は奇跡的に被害を免れました。復旧工事も少しずつ進んで行く中、文化会館の再開を望む声が日増しに高まってきました。
また、熊本県内の多くの文化ホールが同じような状態に置かれ休館、アーティスト達の活躍の場が奪われました。そこで、それらの人達を支援しようと財界人や音楽愛好家の皆さんが立ち上がり「くまもと音楽復興支援100人委員会」なるものが組織されたのです。小中学校、幼稚園、保育園児や仮設住宅で暮らす被災者の皆さんを元気付けようと音楽の炊き出しコンサートと銘打っての演奏慰問、心のケアに中り、少しずつではありますが、状況を受け入れつつ笑顔も見られるようになりました。
地震から4ヶ月経った頃、その「くまもと音楽復興支援100人委員会」様から、今回の地震のシンボルとも言えるこの益城町文化会館の二台のピアノの修復に掛かる費用を支援したいとのお申し出があったのです。活動主旨のひとつでもある、楽器や施設の支援に合致した素晴らしいご提案でした。
その中の一台、損傷が大きいベーゼンドルファーは2002年(平成14年)11月、熊本県立劇場と同じ日に、当店から納入させていただいたもので、この間ずっと保守管理に努めてまいりました。そんなことから、今回も我々に修理依頼が発注されました。
会館の再開に向けて懸命な作業の結果、見事元の雄姿を取り戻すことができました。
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傷ついたベーゼンドルファーの一部
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修復中
その後、100人委員会のこのピアノ支援を知った福岡県の経財界でつくる「福岡・文化振興会」はその役目を終えたことから解散を決議、その余剰金を2台のピアノ修復に充てて欲しいと100万円をご寄付されたのです。

そして、この度の無料記念コンサートと相成りました。スタインウェイとベーゼンドルファー、それぞれが持つ特長がピアニスト有森博さんとその仲間4人のメンバーによる素晴しい演奏で引き出され、二つの名器は見事なハーモニーで応えてくれました。
地震後、客席から初めて聴く“インペリアル”の響きに鳥肌が立つ程の感動をおぼえ、このピアノに対する思いが誰よりも強いだけに込み上げるものがありました。
熊本県は、今回の地震で日本中の大勢の方々からのたくさんのご支援をいただき、感謝とともに様々なことを教えてくれました。人の優しさをこれ程感じたことはありません。
入居ビルが被災し、止む無く廃業された知り合いの小父さんの店舗先にこんな張り紙がありました。
「神戸も、東北も、がんばる勇気を見せてくれた。今度は、僕たちの勇気を見てもらおうよ。がんばるバイ、熊本」
残念ながら、このビルは先日完全に解体され、今は更地となってしまいました。
きっとこの小父さんも、頑張りを見せてくれるでしょう。




当店併設の音楽教室講師I先生が、日頃から愛情と期待を込めて大切に育てている小学6年生S君のお話です。S君はシャイでとってもかっこいい。去年の発表会ではダンディに燕尾服で決め込んで、下級生の男の生徒たちの憧れの存在です。しかも、ピアノを習い始める前の4歳から続けているのは、何と柔道です。ピアノではコンクールに上位入賞する腕前ながら、柔道でも将来を嘱望されているらしい。そんなS君が、いよいよ小学校を卒業する日がやって来ました。S君はこれまで、ことのほかお世話になり、ほのかな想いを寄せる5年生の時の担任の先生に、ピアノ演奏で感謝の気持ちを表そうと考えたのです。事前に校長先生にはその旨了解を得た上で、卒業式、最後のホームルーム終了後、何も知らされていない先生を、妹を遣って職員室から体育館に呼び寄せ、「○○先生ありがとうございました。感謝を込めて演奏します」とピアノに向かいました。
1曲目は、誰もが知っているショパンの「ノクターンop9-2」。いつもとは違う、想いを込めた自分なりのアレンジを加えました。しっとりとしたピアノの調べに、全く予期しなかったサプライズなプレゼントに、感極まった先生はただただ号泣、、、気がつけば、いきなり聞こえてきたピアノの音に「何事だ!」とばかりやって来たクラスメートや保護者の方々の人だかり。今度は一転、アップテンポの「千本桜=黒うさP作曲」。聴き終えた先生は「S君、ありがとう、こんな素晴らしい卒業プレゼント、けっして忘れません」、先生自身嗜まれる三味線とのセッションをいつか必ず実現しようね、と約束されたとか。S君のお母様も、「彼が今まで弾いた演奏の中で一番心に響き感激しました」と涙ぐみながら、その時の様子を語られました。
そして、この4月から中学生となるS君は重大な決断を強いられたのです。それは、柔道かピアノかの選択を迫られていたのです。柔道は、硬くて分厚い道衣の襟や裾を激しく取り合う組み手争いはバレーボールにも匹敵するほど指を痛めまるかなりハードであり、言わばピアノをやる人にとっては大敵とも言えるスポーツです。指は最も重要であり、突き指やけが等もってのほか。彼はついに柔道を辞め、ピアノを続けることを選びました。
S君は将来ピアノに係われる仕事に就きたいと思っています。男性にとって、ピアノや音楽の道で経済的に自立することは決して楽なものではありません。「後悔しない道を歩んで欲しい」とお母様。及ばずながら我々も応援したい。頑張れ!S君。



「ありがとう」の気持ちを込めて・・・
前回は、息子さんの結婚披露宴で、サプライズとし秘かに練習したピアノ演奏を披露する筈だったのですが、残念ながら実現しなかった方のお話でした。
さて今回は、幼い頃から夢として抱いていた「自分の結婚披露宴でピアノ演奏をする」と言うその夢を実現された楠木さんから、ささやかながらでも関わることができた僕ら宛てに嬉しいお便りが届きましたのでご紹介致します。
~私は、保育園に通う頃から高校生の頃までピアノを習っていましたが、今でも忘れませんが、幼心に自分の結婚式にはピアノを弾きたいとずっと思っていました。
昨年、今年の7月に結婚することが決まり、当日ピアノを弾きたいと言う思いはあの頃と変わらずあったのですが、その頃の私は練習するどころではない状態でした。闘病生活を送っていた祖父の元へ仕事から直行し、面会に顔を出す毎日。「結婚式には頑張って出ようね」と何度も約束し、リハビリにも意欲的に取り組み、驚くほどの回復ぶりを見せてくれていた矢先の結婚式目前の桜満開の4月、残念ながら家族全員でお見送りすることになってしまいました。
結婚式の準備など慌ただしくなって行く中、本来幸せいっぱいの筈なのに、ぽっかりと心に穴が開いたような感覚の日々から、何のために結婚式をするのか、「何のために・・・・」を強く考えるようになっていました。気づくと自然にテーマが“感謝”になっており、ピアノ演奏で空から見守ってくれている祖父への感謝の気持ちを伝えたいとの思いから松下奈緒のピアノバージョン『ありがとう』を選曲。そしてピアノの楽しさを知るきっかけを作り、長年レッスンに通わせてもらった両親に感謝の気持ちをピアノに託すことに決めました。

早速、手短なショッピングモールや楽器店を何軒も見て回りましたが、店員さんから話を聞けば聞く程、どれを選んだらいいのか分からなくなりました。そこで私が幼い頃から長年お世話になっていた実家のピアノが、確かくまもとピアノさんだったことを思い出し、すぐにそのお店へ。いらっしゃった森永さんから丁寧な説明と的確なアドバイス、即決!でした。森永さんは私のことはもとより当時の担当の先生のお名前も覚えておられ、購入日は平成元年の何月何日であることなどしっかり記録に残されており、自分の誕生日に両親が用意してくれたんだと今になって気づかされ感動してしまいました。数あるお店を回りましたが、やはりくまもとピアノさんは本当に安心と信頼のお店だと改めて感じました。
更に、当日のために指導をお願いしましたらF先生と言う素敵な先生をご紹介していただき、10年以上のブランクで思うように弾けない私でしたが、それでも自信が持てるようなお声掛けや、熱心なご指導によって何とか様になってきました。

親戚からは何度も良かったよと言葉を掛けてもらったり、何人もの方が涙を流しながら聞いておられた事など伺いました。きっと、祖父母も空から結婚式に参加し、私の演奏を聴いていてくれたんだろうなぁ、と思います。
幼い頃からのささやかな夢の実現に、親身になって協力していただいたF先生やくまもとピアノの森永さんに心から感謝致します。
そしてこうして今回、私の人生の中でも大切なイベントである結婚式でピアノを弾けるまでの基礎を指導していただいたM先生、またその環境やピアノを準備してくれた両親に「ありがとう」。
大人になった今、また違ったピアノの楽しさに触れ、新しいピアノで現在も仕事の息抜きに楽しんでいます。
またひとつ、今度は子供との親子連弾と言う夢ができました。~
現在、楠木様はお母様と同じ看護師としての道を歩んでおられます。中学、高校時代の同級生でもあるサーフィンが大好きな旦那様との共通の趣味を楽しんでおられる素敵なご夫婦です。
来年結婚予定の大親友からピアノ演奏のオファーがあったんですよ、と嬉しそうに報告してくれました。どうかこれからも末永くピアノライフを楽しんで下さいね。



とても素敵な女性と出会った。
暑さ真っ盛りの8月のある日、上品でとても感じのいいおば様(O様)が突然お店に入って来られた。「ちょっとの期間だけピアノを習いたいんですけど・・・」と。ピアノの経験は殆どないらしい。
お話を伺ってみると、12月初めに長男さんが結婚されるらしい。その披露宴で自分のピアノ演奏をバックにご主人が歌うと言うサプライズなプレゼントをしたい、と言われるのです。素晴らしい!大歓迎である。
早速、その道に長けた講師に連絡をとり、数日後引き合わせる事に。まずは曲決めから・・・残された期間とレベルを考えながらあれやこれやと検討した結果、「マイウェイ」に決まった。

自宅には古い足踏みオルガンしかないらしい。レッスンが無い日には当店ソナチネルームの空き時間にやって来てはもくもくと一人で練習される。終われば翌週の予約を入れると言った日々が続き、めきめきと上達されて行く姿に頭が下がる。余りにも早いその上達ぶりに僕と担当講師は相談して、ピアノ演奏がもっと映えるピアノソロの部分を作ってあげようとアレンジし直した。
だいたい形が見えて来た頃、実践さながら、僕に歌って欲しいと言うことになった。拙い歌で良ければと言うことで引き受けた。O様のイントロが始まる・・・“今~船出が~近づく~この時に・・・・・(中略)私には~愛する歌が~あるから~・・・・・”ご主人に成りきって歌っているうちに段々と感激して熱いものが込み上げて来て歌えなくなってしまったのだ・・・
こうして毎週レッスンの最後は僕の歌との合わせも入り、殆ど完璧に近い状態に仕上がってきた。
息子のために秘かに練習して、たどたどしく弾く所が皆んなの心を打つと思ったのに、これはシャレにならないゾと思うほどの出来である。
そして披露宴を1ヵ月後に控えた頃、「後は自宅で主人と合わせます。お世話になりました」。と言うことで我々の役割を終えた。

そしたら何と、急遽取り止めた!とのことである。その理由を伺ったら、元々左肩を50肩で痛めていたのが右肩にもその症状が現れてきた上、練習し過ぎて腱鞘炎にかかってしまった。とてもピアノが弾ける状態でなくて、やむなく取り止めたそうである。長男さん方には元来サプライズとして内緒だったのでいいとしても、事前にそのことを知っていた娘さんは楽しみにされていただけにたいへんガッカリされたそうである。
そこで僕からの提案、「うちのソナチネルームに長男さんご夫婦を呼んでやり直しましょう」と。すると「息子は転勤で東京に行っちゃいました。でも二男がいますから、その時に取っておきます」とのこと。自分も感動しながら少なからず参加した事柄だっただけに残念でならない。
実現こそしなかったものの、何と素晴らしい家族なんだろう。
まさにサプライズ!?な結末であったが、それまでの努力と熱い思いはきっと長男さん方に伝わっていると思う。
(3枚目の写真が無いのが残念である)



熊本に住んだ僅か1年2ヶ月、強烈なインパクトを与えて帰京した青年のお話です。
新年も明けた1月初旬の土曜日、厳しい寒さの中自転車をこいで、芸能人顔負けの見るからに男前のTさんが、事前に予約していた当店ソナチネルームにピアノを借りにやって来ました。程なく、その部屋からは今迄聞こえてきたことがない前衛的なピアノの音がします。次から次と理解に苦しむような難しい曲ばかり、果たして楽譜なる物は存在するのかなぁと覗いて見ますと、何とも見るからに難解で、5線から上にも下にも音符がいっぱいはみ出しています^^v
その内聞こえて来たのは、西村朗氏作曲の「オパール光のソナタ」=当HPお勧めCDコーナーで紹介中。最後は僕も親交がある加古隆氏作曲の「黄昏のワルツ」=NHKにんげんドキュメントのテーマ曲。この曲だけは全く趣が違って実に美しいメロディです。たっぷり2時間練習した後、明日も2時間の予約、更には殆ど毎日仕事を終えてタクシーで駆けつけました。

「想像ですが、あなたは相当の高学歴で有名企業、たぶん金融証券関係にお勤めなのではないですか」と尋ねますと笑いながら頭を掻いていました。
そして本番当日もやって来ました。約1時間指ならしをして「お世話になりました。行って来ます!」と会場に向ったのです。僕はその後来客の予定があったので伺えませんでしたが「あの黄昏のワルツはアンコール曲なのかなぁ」と勝手にピアノに向かう彼の姿を想像したりしておりました。
そして数時間後、リサイタルを終えた彼は手土産としてスイーツを提げて戻って来ました。使用料をおまけしたお礼なのでしょうか、律儀さに恐れ入ります。そして「この1週間ありがとうございました。自己紹介させていただきます」と手渡された名刺を見てビックリ!僕の想像を超えた公的機関に勤務する、将来を嘱望されたキャリアです。

二人はピアノ談義からいつしか金融、経済に話題が発展、語り合いました。自分の息子より年下とはとても思えない、しっかりした考えを持つ実に凜とした青年です。
その後も、新しいピアノが入荷したら試弾に来ては、貴重な意見や感想を寄せてくれ、二人は交流を深めて行きました。
そして同年8月初め、僕に強烈な印象を残したまま熊本での任務を終え、帰京したのです。
(熊本を離れる前日、挨拶に訪れた彼に熊本における最後の1曲をおねだりしました。居合わせたレッスン生の女の子は、彼のダイナミックな演奏に唖然としながらも聴き入っておりました。)
この後、本部に配属され、海外留学や海外赴任の可能性もあるとか・・・。何処に行ってもピアノだけは弾き続けることでしょう。帰京後は取り敢えずグランドピアノをリースしようかと考えているそうです。そして、近い内に1度は大きなピアノコンクールで入賞を果たしたいとも・・・・
「再び熊本に戻れる可能性は皆無とは言えなくもかなり低いですね」と謙遜しながらも、初めての地方赴任地熊本、次は偉くなって戻って来られることを待ち望んでいます。



4年程前、沙織さんと言う20代の若い女性から、「約30年前に買ってもらったグランドピアノです。一度水害に被った上、この10年近くは納屋や物置に放置されたままの状態ですが、まだ使えるようになるのか見て欲しい」とのご依頼を受けました。伺ってみますと確かに予想以上に劣悪な状態です。でも、手を加えればまだまだ充分使用できます。
お話を伺ってみますと、このピアノはお姉さんがピアノを習い始めた頃、両親がせっかくならと当時アップライトピアノの倍以上の値段がしたグランドピアノを買い与えてくれたものだそうです。
私は両親のその見識と愛情に大いに敬服致しました。しかしながらそのお母様も、沙織さんがまだ2歳の時、病気で亡くなられたとのこと。形見とも言えるお母さんの想いが詰まったグランドピアノ。にもかかわらず、その後お姉さんは結婚、沙織さんも大学進学、就職と実家を離れてしまい、いつしかピアノは納屋に放置されていました。見かねたお姉様が引き取ったもののそこもやはり物置です。
このままでは「悲劇のピアノ」になってしまう、と思った沙織さんは、何とかこのピアノに息吹きを与え、6畳一間しかないけど自分の部屋で引き取りたい、との想いからのものでした。
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殆どヘッドホンでの使用が多い現在、いつかきっと広い部屋で、大きく蓋を開けて思いっきり生の音で弾いてあげたいと思っているそうです。
そして昨年の父の日、沙織さんはコンサートホールを半日借り切って「お父さんだけのためのコンサート」を計画しました。何百回もCDを聴いて丸暗記した、とおっしゃる超難曲「ラ・カンパネラ」も何とか様になり、いよいよ当日を迎えました。ところが、肝心のお父さんがすっかり失念していてお友達と釣りに出かけてしまったのです。ビックリさせようとの思いから念押しをしなかったことを悔やみながら、寂しく一人ぼっちホールのピアノで練習したそうです・・・・。
でも、きっとお母様は聴いておられたかもしれませんね。
「もっとレパートリーを増やして、来年もう一度計画したい。」と語ってくれました。
ピアノって本当にいいもんだなぁ、と改めて実感致しました。
その後も、定期的にメンテナンスのご依頼をいただき、とても大切にされています。



とある日曜日、ピアノ店である当店にはちょっと不似合いの格好をした、20歳前後の見た目イケメンの青年が物静かに入って来ました。着古した感じのジージャンの上下にブーツ。イヤリング、指輪、チェーンのアクセサリーどう見てもロックミュージシャン風。戸惑いつ「いらっしゃいませ」と声を掛けますと、やおら「ピアノを弾かせていただいていいですか」と。展示のアップライトピアノに向かい、弾き出したのは映画「戦場のピアニスト」で一躍有名になったあのショパンの“ノクターン第20番嬰ハ短調・遺作”。
ビックリです。更に次々とショパンが続きます。けっして巧いとは言い難いのですが、何とも言えない「雰囲気」を感じさせます。
僕は彼にたいへん興味を抱き、一息ついた後いろいろな話をさせていただきました。実は楽譜は全く読めなくて、耳コピーだとのこと。最近やっと正式に先生につきだしたと言うのです。そして彼曰く「ディアパソンが欲しくて来ました。」と2時間ほどかかる水俣からわざわざ来たと言うことで、もう感激!です。今度はグランドピアノに向かいます。やはりショパンです。「やっぱりグランドはいいですね」。とすっかりその気の様子。
それから数日後、僕の留守中に今度はお母様を伴って来店、本当にディアパソンのグランドピアノを契約して帰られました。

このようなことが契機となったのか、生活ぶりも徐々に改善され始め、その頃からお父様が経営される病院の介護施設で、ヘルパー兼運転手として手伝ってくれるようになったそうです。ピアノを楽しむことで、以前のような前向きな彼に立ち直ってくれればとの思いからピアノを買ってあげることを決心されたそうです。
そんな中の来店でした。その際、僕の強い勧めで出場することとなった地元主催の「さいたピアノコンクール、一般の部(趣味として楽しんでいる人対象)」へ出場すると言う思いもよらない出来事は一段とピアノに向かわせることとなりました。
そして見事予選を勝ち抜き本選へと進んだ彼は、関係者からたいへんな注目の存在となりました。本選特別審査員として参加されているピアニストの有森博氏は「彼は独特の自分の世界と雰囲気をもっているね」と寸評されたそうです。ちなみに当日の演奏曲は、ショパンの“ワルツ第7番”でした。
現在彼は、音楽大学への進学を目指し、そのための資格を得るためこの4月から仕事と並行して定時制高校へ通い始めたそうです。
彼の人生の転機となったピアノ。そのきっかけを作ってくれた友人の一言。
今後も彼を見守って行きたいと思っています。
尚、今回も本選出場を果たしました。本番は来年1月です。演奏曲はやはりショパンの“ノクターン13番ハ短調op.48-1”。難曲だそうです。
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現在ピアノのおけいこに通っておられる生徒さんのお家のピアノは、そのお母様やお父様が使っていたピアノだと言うご家庭が少なくないでしょう。
以前、コンクールに入賞する程の優秀な中学生のご家庭で、アップライトピアノからボストン[GP178EP]のグランドピアノに買い替えられたお客様のことです。
運送屋さんの手で、真新しいグランドピアノが開梱されていく過程では子供さんもお母様も嬉しさのあまり歓声をあげながら興奮ぎみでした。グランドピアノがお部屋に設置され、いよいよアップライトを引き取るためトラックに載せようとしたとたん、お二人は今までお世話になったそのピアノにそっと手を触れて涙されました。そのピアノはお母様が使っていたピアノで、その後引き続きお子さんが今まで毎日弾いていたピアノでした。さまざまな思い出がしみ込んだピアノで、手放すのがさぞかし辛かったのでしょう。ちなみにそのピアノは我々の手によってきれいにリニューアルされ、新しい家族のもとで可愛がられ今でも活躍しています。
ピアノはまさに家族の一員です。しっかり対話《おけいこ》し健康チェック《定期的な調律》してあげれば、親子2代と言わずそれ以上でも使えます。関わり方が薄ければ、思い出どころか邪魔にさえ感じてしまうものです。むろんそのピアノにお金をかけて、調律、調整などする気も起きないでしょう。そんな言わば不遇なピアノが巷に多いのも事実です。
ピアノを購入する際、どのメーカーで、どれ位のランクのものを選んだらいいのか、随分と悩まれることでしょう。しかしながら大切なことは、別にも申し上げました通りそのピアノを活かすことでしょう。50万円で購入したピアノが活かし方次第では何倍もの価値観を見い出すことになるでしょう。またその逆もあり得ます。
けっしてピアノに寂しい思いだけはさせないで欲しいものです。
